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■ジュリアン・ハクスリー『宗教と科学:新しいボトルに入った年代モノのワイン』

『Religion And Science: Old Wine In New Bottles』 (Julian Huxley)

第四章


 さて、長たらしい前置きはここまでとして本論に入るとしよう。すべての宗教に共通する要素として、潜在意識との関わりが挙げられる。そしてまたそれは、 精神の中で、個人的な部分と、個人的でない部分との関連においての、指針と実践である。まず始めに、個人的でない部分については、生体の完全な外側に存在 するものであって、時々、それが満ち溢れて、狭い利己の部分へと流入するのであり、これは外的なもう一人の自分、理性、そして神の作用と考える事が出来 る。比較的最近になってから、それが、生体自身からの影響も含んでいる事が判ってきたが、今でもそれが作用する過程は、神聖なものとみなされて、インスピ レーションなどと呼ばれている。発展途上にある種族にとっては、正確に言い直すと、このような潜在意識分野の発見と獲得は、種族の中の個人の精神の発展に 重要な事柄であった。しかしながら、すべての発展途上にある宗教は、この新しく、偉大な力を使えるように手を差し伸べ、精神の利己的な部分がこれと反発し がちであることを教える義務がある。この定義は、現代の宗教の一つのあり方を示していて、それ自体、一旦失われつつも、違う次元でその存在価値を見出して いる。

 宗教はさらに、精神の内的調和をもたらすべきで、またその一方で、外的現実の統一的な理解が求められている。人生においての様々な行動、経験は、最初は 親から子へと遺伝的に与えられるのだが、その後、個々に対しては、独立に与えられるものであって、またそれは、矛盾しあう不調和をはらんでいる。真に社会 的存在として成長するためには、何らかの意識付けが必要であろう。それは個々人が社会の中で協力し合う形で、全体の中の部分を構成しているという認識だ。 再度言い直すと、実存する宗教は色々な形で影響を与えている。そしてそれらはすべて、抑圧、抑制、昇華の組み合わさったものである。

 つまり、次のようにまとめる事ができるだろう。抑制とは正しく高次な方法であり、宗教の方法においての2つの基準は、抑制を強調するところに見られ、抑 制する過程においての支配的な概念の拡大と上昇に見られる。このような方法は、精神のエネルギーが浪費されないという点においても、正しく高次なものと言 える。さらに高次の複雑な組織体への発展もまだ続いているのだ。Jesus、Paulを含む宗教家達は、自由について、この事を強調している。外的な運命 という足かせからの解放は、もっと高次の調和に気付き、この高次な概念要求に従う事によって得られる。この原理に気付いたならば、どのような行為も善であ る。なぜなら個人の欲求が、善への欲求に、あるいは何らか善なるものに従属しているからである。こう言った方が判りやすいかも知れない。恐ろしい罪の意識 から解放され、行動の自由を取り戻した時、人は自分の目的に全力を注ぐ事が出来るようになり、自身が善であることを認識できるのだ。

 罪の概念は世界共通のものではないし、時代によっても違う。これも内的な不調和から生まれるものである。利己心と性が罪の意識の根源に存在しているよう に思われる。そして、人間が成長していくための前提として、この意識が取り除かれる事が必要だと思う。St.Paulの自然な人間のように、精神のある領 域を抑制したり、他の領域を結合したり、またある時は、結合を無くしてしまったり、またその意識に慣れて無感覚になってしまったり、そのような時に罪の意 識は消えうる。そしてまた、明らかに矛盾しあう異なる経験に対して、それを調和させるためのキーを見つけ、精神の力や活力を失うことなく問題を解決するこ とが出来たとき、これこそが宗教による適切な解決であるのだと思う。



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