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フランシス・ターナー・パルグレイブ『名詩選』(1861年)序文
■フランシス・ターナー・パルグレイブ『名詩選』(1861年)序文
(Francis Turner Palgrave, Golden Treasury, 1861, Preface )

冒頭の献辞
桂冠詩人 アルフレッドテニソン君に
わたくしはこの本を執筆するなかで、あるすばらしい友人のことを、たびたび思い返した。その友人は、英文学のあらゆる分野に造詣があり、この地上にあるあらゆる貴重な才能を有しており、たぐいまれな高貴さで誰よりも尊敬される、公正な判断力と勇敢な愛国心をもつ人物。わたくしが着想した3世紀にわたるわが英国の詩選集を、わが友、ヘンリー・ハーランにささげることに、この上ないよろこびと自負を感じてきた。しかし彼は、わたくしたち人間が示す愛と尊敬の届かない場所へと召されてしまった。詩が英国人の心とともにあるように、忘れがたい友情を彼とわかちた君の名を、私はここに、彼の名前とならべて記したいと望んだ。
わたくしがこの仕事にとりかかったのも、トレリンダイナスの大自然のなかを旅するあいだに、君からうけたはげましの言葉がきっかけだった。またその後、君からの助言と支えがあったからこそ、この仕事を成し遂げることができた。詩人である君への敬意と、友人として言いあらわせないほどの感謝の気持ちを、ここに記したことの、これはその2つ目の理由である。
賢明で善良な仲間をもって、目には見えない美をもって、静寂の中でしか聞こえない音楽をもって、多くの人々にとって生涯にわたる純粋でかつ、このうえない喜びの泉となること、出会った友人を勇気づけるみなもととなること、孤独をやわらげる集いの場となること、このように、わたくしが願うこの本に、君への献辞をしるすことを許してもらいたい。この詩選集が、勤勉と清貧を分かち合うためのたくわえとなり、これまでに無関心だった人びとが詩を好むようになり、詩人を好んでよんでいた人がもっと詩人を好むようになったならば、わたくしの目的、わたくしがこの本でしめしたいと考えたことが、成しとげられたと言えるだろう。
序文訳
このささやかな詩選集に、他とことなる特徴があるとすると、わたくしが思うにそれは、故人となった詩人による英国のリリカル(叙情的)な詩のなかから、最良のものを選んだ点である。読者はよみ親しんだ作品に出会うはずである。わたくしが想定した読者は、詩を好んでよむ方々であるし、わたくしはすでに評価され知られている作品以外を選ぶわけにもいかないのであるから、これは当然である。
わたくしは「リリカル(叙情的)な詩」についての明確で充分な定義をもっているわけではない。しかし、いくつかの平易な観点を考え続けてきたところ、仕事がすすむほどに、より明らかに、より容易に、判断ができるようになった。リリカル(叙情的)であるとは、つまるところ、その詩がなにか単一の思考、感情、状況を表現している、ということである。この定義にしたがうならば、瞬間の変化、短さ、人間感情の色合いといったものをともなわない、叙事的、描写的、教義的な詩は、わたくしの選択からはずすことになった。ユーモラスな詩は、作品全体に本物の詩情をたたえた、ごく少数の作品をのぞくと、この本の主旨とはことなるものと言えるし、ある特定の個人、事件、宗教のみにかかわる内容のものも、同様である。無韻詩、10音節のカプレット、そして、ひどく大げさな内容の作品なども、一般に詩と理解されているものとはことなり、また、ここであつかうリリカル(叙情的)という定義ともほぼ違うものであるので、取り上げないことにした。しかしすべての読者がみな、この基準を明確だとは認めてくれそうにない。いや、認めないにちがいない。グレイの「Elegy」「Allegro」「Penseroso」、ワーズワースの「Ruth」、キャンベルの「Lord Ullin」といった作品は、叙事的、描写的な分類がふさわしいという意見がでるだろう。バラッドとソネットに関するかぎりは、不公平な判断とならないように、苦渋の選択をした、とだけ述べておこう。
同様に、何にもまして、読者がまず質問するべき観点がある。それぞれの詩の利点をどのように測って最良だとする作品に評価をつけたのか、詩人の才能によってきめたのか、その詩が表現すべきことをすべて表現しえたのかどうか、適切な短さのなかで、表現できていたのかどうか、あいまいでまとまっておらず真実だと思われないならば、情熱、色合い、個性があっても、それを補うことはできない。部分的によいところがあるだけでは、それがよい詩であるとはいえない。一般読者の役にたつためには、コンパスではなくて、道しるべのようであるべきである。そして何よりも詩の良し悪しは、部分ではなく全体で判断されるべきである。以上に上げた定義は、変わることなくいわれ続けてきたものである。しかしながら、わたくしが選んだ作品と、ふるい落とした無数の作品にたいして、熟考に熟考を重ねてきたことをくわえておこう。そして、冒頭の献辞に名をあげた非凡なる人物にくわえ、2名の友人からの率直かつ有益なアドバイスに助けられた。このような過程を経たことで、個人だけの判断が陥りがちな偏りをとりのぞくことができたのではないかと思う。しかし、あくまでも最終的な判断は、わたくし一人の責任である。
わたくしがこの本でおこなおうとした方法では、故人ではない今日の詩人の評価を正しくおこなうことができるとは、とうてい思えない。仮にわたくしが評価をしめしたとして、それに対して批判を受けなかったとしても、わたくしと同年代の詩人にたいして宣告を下すのは未来の読者であるということを考えておいてよいのではないか。本は消えずにのこり、テニソン、ブライアント、クレア、ローウェルといった詩人が、すぐれた詩人だと評価されるにちがいない。しかし、ながい年月のあいだにはこうした評価が、ちがう誰かの影響をうけることもまちがいないことだと思う。
アレクサンダー・シャルマーズによる膨大な資料を参照したうえ、これに掲載されていない詩人については、できうるかぎりすべての作品を参照するようにし、さらに、いくつかの年代にわたって、すぐれた詩選集にもあたるようにして、これらを系統だてて、2回まわりよみかえした。わたくしが見落としていないかぎり、作品に不足はないはずである。行を削除して注を付記したごく少数の箇所をのぞくと、作品は全文を掲載するようにした。削除をこころみたのは、これによって作品がリリカル(叙情的)な統一に近づくと考えた場合のみである。一部の行を抜粋して収録することは、この統一性に明らかに相反するので対象外とした。テキストについて、複数の版がある作品の場合は、この本の目的をかんがみて、もっとも詩情をたたえる版をえらんだ。最良のものとなることを目指して、行の配置、つづり字、句読点にも、できるだけの配慮をおこなった。著作権については、著作権所有者の了解をえたうえで掲載している。著作権所有者の方々の協力なくしては、この本を成功させることはできなかった。
構成においては、それぞれの詩のよさがもっとも引き立つように、順番を考えて配置した。英国人の精神は、3世紀にわたる詩の歴史において、たがいに相反するような多様な思想、文化の変遷を経てきているので、年代のことなる詩をつづけてよまねばならないとすると、風景を見るときに遠近をきりかえるような、思考のきりかえに労を要するために、詩の美しさを感じとることにたいして、わるい影響をあたえてしまう。そのためにこの本では、年代順に配置することとし、1巻は初期から1616年まで、2巻は1700年まで、3巻は1800年まで、4巻は19世紀の半ばまで、というように巻をわけた。それぞれの年代におおきな影響をのこした詩人に着目すると、それぞれの巻は、シェイクスピア、ミルトン、グレイ、ワーズワースと題することもできる。各巻をこのような観点でみた場合、採集した作品の範囲に限られるものの、わが国での詩の成長と進化のようすが、はっきりと見てとれる。しかしながら、年代の順に正確にならべる必要があるのは、詩を楽しみ、知性をそだてるというよりは、文学史を学ぶための選集の場合であるので、それぞれの巻の中の構成では、感情や主題にもとづいて配置した。モーツアルト、ベートーベンの交響曲の発展を参考にして、この配置にも細心の注意をはらった。以下にあげるシェリーの偉大な言葉にあるような、全体の統一感を感じていただけることを願っている。
世界が始まったときからずっと
ただ一つの偉大な精神のもとに
すべての詩人が協力して
「詩」という大きな建造物をつくり続けてきた
さて、長々と書いてきたこの解説をおえるにあたり、私心をすてて発言したいと思うのだが、ながい詩の歴史の中で、一部の批評家が詩にたいして下した、いつも必要以上に手きびしい評価よりも、一般読者による評判のほうがずっと正しいとわたくしは信じている。多少なりの評価にあたいするような、ある程度の才能と活躍があって名声を得たという詩人がいなくもない。優しいというよりは弱々しく、表現の技術というよりは書きすぎている、というような欠点をもった詩人が、まったく取り上げられていないとしても、その詩人を軽んじたわけでもなく、ためらい、後悔なしにふるい落としたのでもない。無名のまま消えていった不遇の詩人たちのなかにあって、世から詩人と称されたものはごくわずかである。無名とはいえ、詩をなすための表現の技量、美への理解、感情の優しさというものをまったくもっていなかったのではなく、ここでもとめているような至上の美にはいたることがなかったということであって、楽しみのための、より普遍な内容を有していると言える。おおくの人びとが勉強のためにといって空いた時間によむような書籍よりも、よむ価値がある。平凡な詩人であってこれが正しいのであれば、すぐれた詩人がわたくしたちにもたらすものは、どれほどであろうか!名高きアゾレスの泉のように、さまざまな力によって芸術の魔力は、若者には経験を、壮年者にはやすらぎを、老年者には元気をと、人生のそれぞれの年代に祝福をもたらすことができる。詩というものは黄金以上の価値がある財産であり、わたくしたちの世界よりも高くすこやかな場所へとみちびき、大自然の教えを通訳してくれる。しかし、自然の美は、自然みずからが語るものである。わたくしの構成が成功しているならば、つづくページをめくる中で読者は、自然のほんとうのひびきを聴くにちがいない。英国の詩人の名が知られているすべての土地において、世界にひろがった英語が話されているすべての土地において、願わくば、その聴衆をみいだすことを。
脚注
サマセット・モームは彼の「読書案内」の中で読者に薦める詩選集を3冊あげていて、これはその一つ。
モームは英詩をこよなく愛し、詩は「文学の花、文学の極致」という。そして詩をよむ時は、海の見える丘や森の中など特別な場所へ出かけていき、
ポケットから取り出した詩集をよむのだと書いている。
パルグレイブのこの本はコンパクトなサイズなので、ポケットに入れて出かけるには最適。
フランシス・ターナー・パルグレイブ (1824-1897) 評論家
トマス・グレイ (1716-1771) 詩人
ウィリアム・ワーズワース (1770-1850) 詩人
トマス・キャンベル (1777-1844) 詩人
ウィリアム・カレン・ブライアント (1794-1878) 詩人
ジョン・クレア (1793-1864) 詩人
ジェイムズ・ラッセル・ローウェル (1819-1891) 詩人
アレクサンダー・シャルマーズ (1759-1834) 編集者
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