TopPage  -> ファーブル『昆虫記』のこと

■ファーブル『昆虫記』のこと

(J.H.Fable,  Souvenirs Entomologiques(Etudes usr l'Instinct et les Moeurs des Insectes),  1879-1910)

はじめに

原題を直訳すると、『昆虫学ノート(昆虫およびその生態の調査)』といったところだろうか。子供向けの邦訳や、教科書の抜粋でしか読んだことの無い方は、 ぜひ、通読してみていただきたい。本当に面白い。
この昆虫記は科学論文の書き方ではない。随想風の散文となっている。それを理由に昆虫記を低く評価しようとするなら誤りである。作品全体を通して、ファー ブルの興味は、昆虫の生態の向こう側にある、生命や精神の本質へと向けられている。生命の本質へと思索を推し進めるために、ファーブルはこのような散文風 の形式を選ばざるを得なかった。

リュック・ベンソン監督の『グラン・ブルー』を(この映画を観た方は)イメージしてもらいたい。僕は『グラン・ブルー』の持つ雰囲気は昆虫記と酷似してい るように感じている。興味の対象がイルカであるか、昆虫であるかの違いだ。おそらく、リュック・ベンソン監督は、ファーブルの影響下にあるのではないだろ うか。

生命への考察

”ひとつの至高なる秩序が物質を指導している。これが、いやしい身分ながら”とげもも”の象鼻虫が我々に確言しているところのことである。”

上記の言葉は7分冊での”ぞうむし”の考察の中で述べられているものである。
ファーブルの考察は、常に生命の本質へと向かっている。単なる昆虫の習性への興味ではない。

現代の生物学の根底にある進化論は、主に形態の変化に焦点を当てている。環境の変化や、確率的な遺伝子の突然変異を繰り返すことで、原初の生命が魚や鳥や 人間といった多様な形態へと発展してきたことを説明しつつある。形態だけに注目するならば、この論旨に納得できる部分もある。
しかしながら、形態の中に秘められた本能という、僕らの行動や習性を形作っているものにも、この考え方が適用できるとは思えない。

ぞうむしは、それぞれの種で別々の植物の実に産卵する。これは種ごとに固定された本能である。また、ぞうむしは、好みの植物が得られないと、その植物と同 じ分類に属する植物を判断し、多少我慢して、その植物を利用する。ぞうむしの本能は、ある程度柔軟に環境に適応することが出来ている。ただし、同じ分類に 属する植物をまったく見つける事が出来ない場合、ぞうむしは子供を残す事が出来ない。

ぞうむしの小さな脳は、機械のような単純パターンだけを行動するのではなく、ある方針に従い、制限された範囲で柔軟な行動を行う。
ぞうむしの持つこの方針が、本能の実体である。本能は固定されたシーケンスパターンではない。本能には柔軟性がある。
ぞうむしは、彼自身の植物学に基づいたある方針を、生まれながら持っていて、初めて経験する環境で最善の判断を探し、
産卵すべき植物を特定する。その植物が未経験であったとしても、利用可能と判断し、産卵のためにいくつかの障害を克服してゆく。
ただし、本能の指針は絶対で、揺るぎ無い。柔軟性の範囲を超える環境では、ぞうむしは死んでしまう。

ファーブルのぞうむし類の観察によるならば、
1.多くの場合、体の器官構成が類似していても、本能の持つ指針には相違がある。
2.体の器官構成が異なる種や、まったく異なる種において、本能の持つ指針の一部は一致する場合がある。
本能という行動の指針と、体の器官構成は、互いの関連が、実は思ったより小さい。また、異なる適応をとげたと思われる、形態の異なる、フランスのフンコロ ガシと南アメリカのフンコロガシは、同じ本能の指針を持っているという記述もあり、本能と器官の独立性を裏付けている。

体の器官や形態は、遺伝子によって受け継がれ、変化を続けてきたと考えることはできる。
器官や形態を動かす、本能という名の一つの精神は、それぞれの種で変化することなく受け継がれていると言えないだろうか。
私はこの論旨に賛成したい。
なによりも、この論旨から、我々は単なる分子機械ではなく、意志を持つ生命だ、と断言することができる。

蜂の物語

『昆虫記』で最も面白いのは、10分冊の1〜3巻で描写される蜂たちの生活の部分ではないだろうか。
非常にたくさんの蜂たちが登場し、それぞれの蜂の際立った個性が描かれる様子は、バルザックの人間喜劇や、トルストイの戦争と平和にも比肩する。いや、 まったくこれは蜂たちによる人間喜劇だ。無数の蜂たちは、母性愛や食欲といった抑えきれない欲望に突き動かされ、互いに愛し合い、殺しあう。
(間違えてはいけないが、ファーブルはリアリズム派の小説家ではない。その作品は現実の忠実な記録である。もし昆虫記を文学に分類するなら、ノンフィク ション、ルポルタージュ文学となるのだろうか。)
蜂たちの物語を読むとき、名前が似ているせいで、混乱して読みにくいと言う方がいるかもしれない。下記に登場人物関係図を作ってみたので、蜂の名前で混乱 してきたら、これをプリントアウトして、参考にしながら読んでみていただきたい。

蜂マップ

たまむしつちすがり, こぶつちすがり, きばねあなばち, ランドックあなばち, はりばえ, はなだかばち, あらめじがばち,夜盗虫, とっくりばち, どろばち, べっこうばち, はきりばちやどり,すじはなばち, つちばち,はなむぐり,とがりはなばちもどき,はきりばちもどき,かべぬりはなばち, すきばつりあぶ, しりあげこばち,モノドントクプレウス, すきばつりあぶ, つのはきりばち, ほしほそみこばち, つちはんみょう, とがりあなばち, かまきり,るりじがばち, くも, もんはなばち, みつばちはなすがり


Copyright (C) 2004-2005 YASUMOTO KITAN