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ジョージ・ライランズ『人生の諸相(シェイクスピア・アンソロジー)』(1939年)序文
■ジョージ・ライランズ『人生の諸相(シェイクスピア・アンソロジー)』(1939年)序文
(George Rylands, The Ages Of Man, 1939, Preface )

『The Ages Of Man 日本語版』はこちらを参照。
序文訳
”亡くなったシェリダン氏は、「シェイクスピアの美」をご覧になった際に、丁寧に尋ねられた。
「ところで、他の11編はどこですか?」”
(ウィリアム・ヘイズリット『シェイクスピア劇の登場人物』)
シェイクスピア作品のアンソロジーを初めて編したのはウィリアム・ドッド博士である。
彼は国王付きのチャプレイン(司祭)であった。
処刑されたのは1777年、彼の「シェイクスピアの美」というアンソロジーの出版から25年後である。
これは、彼の生徒であったことのある第5代チェスターフィールド伯爵の名をかたって
4200ポンドの証券を偽造した罪によるものであった。
同年、ウィリアム・ヘンリー・アイアランドが生まれている。
後に彼は、シェイクスピア直筆原稿と二つのシェイクスピア戯曲を贋作した。
ドッド博士以後、アンソロジー編者とともに、贋作者が後を絶たない。
加えて、シェイクスピア研究はいつも犯罪よりも狂気を伴ってきた。
サミュエル・ジョンソンはモラリストの重鎮で、彼に比肩するものは一人としていない。
この彼は、ドッド博士の弁護に奔走した。
「出来うる限りのことをしよう」といい、大声で悪態をつきながら、部屋の中を落ち着きなく歩き回った。
中央刑事裁判所でのドッドの演説、ニューゲート教会でのドッドの講話、国王へ恩赦を願うドッドの手紙、
これらはジョンソンのペンによるものであった。
死刑執行の前夜、ジョンソンはこの死刑囚に、神への祈りをよろしく、という手紙を書いた。
ボズウェルの伝記にあるこれらの記録には、心を動かされる。
サミュエル・ジョンソンが、一つの見方として、最も偉大なシェイクスピア評論家だとされるその理由も、
この伝記が教えてくれる。
サヴェージ、ポープ、グレイ達の伝記作家でもある彼は、ファルスタッフ、キャリバン、ジェイクイーズを創造した劇作家と同様に、
「私は人間である。人間に関することで、自分に無縁なものは、何もないと思う。」を銘としていた。
この二人にとって、寛容は最高の美徳であり、忘恩は最低の罪悪であった。
英国人らしさ、英国人気質という点で本質的に似ているこの二人に、なんと大きな違いがあることか!
まるでお互いを補完し合っているかのようだ。
シェイクスピアは言葉を創造し、ジョンソンはそれを確立した。
ジョンソンは様々な分野への博学をもって知られ、シェイクスピアはラテン語はおろかギリシア語もほとんど解さなかった。
シェイクスピアは直感の詩人であり、ジョンソンは熟考された散文と論理的な哲学で知られた。
一人はある種女性的な感性により、おだやかで控えめであり、もう一人は肉体的で自己主張が強い。
だがしかし、シェイクスピアの猥雑な言葉遣いと、ジョンソンの、魅力的とはいいがたい妻ティティへの愛情のことを、
見過ごすようなことがあってはならない。
一人は一時代の精神を体現し、もう一人は時代を超えた創造力そのものである。
ジョンソンに関してわたくしたちは、彼の趣味、テーブルマナー、政治思想、偏見、口調、交友、信仰など、すべてを知っている。
シェイクスピアに関しては、わたくしたちに分かるのは、ほぼ何も分からないということのみである。
不確かな情報がノートの紙に書き込まれ、神話と推測が書庫に山積みになっている。
分かっていることといえば、
彼の洗礼日、死亡日、父親がストラットフォードの議員だったこと、
双子の息子が11才で亡くなったこと、貧乏役者だったこと、
宮内大臣一座の一員として認められ、肩書きを手にし、ひとかどの人物になったこと、
学生なら誰しも「二番目に良いベッド」の話を聞いたことがある。
そしてわたくしたちは、フォリオ版を読みながら、本当のシェイクスピアとは別の人物像を思い浮かべているのだろう。
宮廷人でもない、カトリックでもない、知識人でも学者でもない、風刺家でもない、帝国主義者でもない、
むろん、フランシス・ベーコンでもない。
タッカー・ブルックの言葉を借りるならば、
エリザベス女王時代に流行に敏感だった人たちから、
政治、宗教、地政学、時事問題について議論する人間と呼ばれる類いの、
ロンドンで最後の生き残りだったはずである。
芸術のための芸術、も加えておこう。
シェイクスピアは確かに二つの側面をもっていた。
ロンドンの通りを闊歩する男、そして、ウォーリックシャーのいなか道をいく男、である。
これに対して、ひどく逆説的なことだが、真のシェイクスピア鑑賞においては、
わたくしたちは、ジョンソンにこそ着目すべきである。
この二人にとって、文学と人生は同義であった。
(文学興隆の第三世代においては、チャールズ・ディケンズが彼らに相当する)
サミュエル・ジョンソンの知性と知識は、「シェイクスピアの美」とともに、ベッドの書棚に並んでいた。
二人はともに、読者に共感される作品を書いた。
ジョンソンはこういっている。
「詩人の業績について、何かいおうとする場合は常に、一般読者の一般的な感性によって、広く判断されるべきである」と。
シェイクスピア研究において、
コールリッジはその創作過程を探求し、ブラッドリーはその正確な性格描写を追及し、
グランヴィル・バーカーはその演劇の伝統的手法と演劇の技術を明らかにした。
しかし、ジョンソンにとってのシェイクスピアは、人間存在の代弁者、通りを闊歩する男である。
これは彼の時代の風潮でもあった。
18世紀は、詩情あふれる発声法や、大げさな表現への関心が薄れ、
自然の真理や実社会での生活に関心がもたれた。
アレクサンダー・ポープはこういっている。
「シェイクスピアは自然界の事物を模倣したのではない。彼の作品での登場人物は自然そのものである。
自然を模写したなどと的外れなことをいうのは、ある種の侮辱だといえる。」
ジョンソンはポープに続き、次のようにいった。
シェイクスピア戯曲は、悲劇、喜劇と呼ぶようなものではなく
「それは、人間の真実の姿を示すという1つの独特な性格を持つ作品群である。
そこには善と悪、喜びと悲しみが変幻自在の組み合わせをもって描き出されている。」
(『シェイクスピア序説』中川誠訳)
博士が、演劇的手法の性質や、舞台演出がもたらす感動に、無関心だったわけではない、という点だけは付け加えよう。
ビクトリア王朝派の彼の後継者たちよりも、むしろ彼自身の方が、これらの効果をより意識していた。
彼は、物語の展開と会話の進行に読者の注意を向けさせ、
つながりをもって発展する構成に重きを置き、活き活きとした舞台演出を良しとした。
しかし、そのような彼がシェイクスピアの価値、意義について下した最終的な結論は、
ポープによる評論の教義から引き出された。
「まず自然に従え。人間が研究すべきものは人間自身である。」
この結論が引用された背景として、18世紀後半から19世紀前半の時代の要請のもとで、
高慢かつ高圧的な世論からの圧力を感じた現代文学評論が、やむなく取り組んだ批判活動を、
先の引用が正当化していることがあげられる。
いうなればそれは、故人となった偉大な先人が作り上げた美、定型句、警句、美文体の解体である。
「シェイクスピアは少なくともギリシャ・ローマ以後のあらゆる作家の中で誰よりもよく人間性を描いた詩人であり、
人間の習俗と生活の忠実な鏡を読者に向かって掲げている。
彼の作品に登場する人物は、・・・世界中のどこにでも見受けられる、ごくありふれた人間たちである。
彼等の言動はすべての人間がそれによって心動かされたり、生活の全体が維持されて行くという普遍的な欲望と原理から生み出されている。
他の作家たちの場合は登場人物がしばしばあまりにも個性的すぎるが、
シェイクスピアの場合はほとんどの登場人物がそれぞれの人間タイプを象徴している。・・・
すなわち、彼の作品は人生を写す鏡であり、他の作家たちが提供する様々な幻によって想像力をかき乱された読者は、
シェイクスピアの中にはじめて人間の感情が人間の言葉で表現されているのを見て、
他の作家たちが自分に与えた錯乱の興奮状態から目ざめることができる。
また、世を捨てた人たちにとってもシェイクスピアは世の動きを知らせてくれる詩人である。
そして人の懺悔話を聞く聴罪師たちは人間の生の情念がいかなるものであるかをシェイクスピアによって教えられる。」
(『シェイクスピア序説』中川誠訳)
興味深いことに、ロマン派の巨匠ワーズワースは、自著リリカル・バラッズの序文で自問している。
詩とはなんだろうか?と。
その答えは、新古典派の評論家サミュエル・ジョンソンによるシェイクスピア序説の内容への共感を感じさせる。
「詩人は人びとに語りかける存在である。・・・詩こそあらゆる著作物のうち最も哲学的だ、・・・
詩の目的は個別的な一面的な真理でなしに、全体的な、効力のある真理なのである。外的な証拠の上に立っているのでなしに、
強い感情によって生きたまま心に送りこまれる真理である。・・・詩は人間と自然との生き写しである。」
(『抒情歌謡集』宮下忠二訳)
ビクトリア王朝時代文化の福音伝道師マシュー・アーノルドを取り上げるならば、
ワーズワースに関してのエッセイにある有名な一文に目がとまる。
「詩作とは人生に対する批評である。
内なる思想を力強くかつ美しい形で実人生の中に示して見せるところに、詩人というものの偉大さがある。
いわば、いかに生きるか、という問いに対する答えである。」
フリート・ストリート、ヘルベリン、オリオル・カレッジ、時代の異なる三人の詩人が同じ結論に至っていることは、
注目に値する。
こうしたことから、この選集は、風俗や生活を映し出すシェイクスピアによる鏡である。
シェイクスピアが見た人間と自然である。
シェイクスピアによる人生に対する批評である。
ここにわたくしたちが見出すのは、すべての人間がそれによって心動かされる普遍的な欲望と原理であり、
また、情熱によって、心に生気をもたらす真実であり、
また、いかに生きるかという問いに対する力強くかつ美しい思想の提案である。
これに対して熱心なジョンソン信者は、次のような話でさえぎるのではなかろうか。
博士は、シェイクスピアで選集を編もうとするすべての者に対して、
シェイクスピアの真の魅力は抜粋された一文の輝きからは判らないものである、と警告した。
シェイクスピアから一文を引用して薦めようとする者は、自宅を売ろうとするときにその見本にと、
レンガを一つポケットに入れていったというヒエロクレスが書いた学者のようなことになる。
これに対するわたくしの答えは、シェイクスピアの名作については、舞台、学校、あるいは個人的な読書である程度知っている方、
おそらく旅行の際に、ソネットの一冊もポケットに入れて携行する方、
しかし、時間も機会もないので、あえて系統立てて読み直そうとまでは思わない方、
たとえば、「ペリクリーズ」、「アテネのタイモン」、「終わりよければすべてよし」などの作品までは、
あえて読むつもりはない、この選集は、このような方々を想定したものだ。
しかし、忘れてはいけないが、アンソロジーは詳細な読書への良いきっかけではあるとは思うが、
シェイクスピア関連書籍でジョンソンは、このような構成を好まず、
一行だけ抜き出したならば、コングリーヴの「喪に服する花嫁」の一段落のほうがましだ、と強い口調で警告している。
もっといえば、シェイクスピア作品は、その全体が社会と経済に関しての体系を成している、という立場であった。
本書をどのような構成にすべきか考える中で、
すでに世にある多くの選集のもつ短所が見えてきた。
よくあるのは、フォリオ版にならって、テンペストからオセロという順に並べられ、
詩とソネットは一つの章にまとめられている構成だが、
引用箇所の良し悪し以前に、書籍の構成が問題である。
少し考えられたものとしては、文学者が推定した最新の執筆年にもとづいて並べられた文学史的な選集で、
これにより、シェイクスピアの知性、芸術性の発展を明らかにしようというものである。
しかし、このような構成に興味をもつのは、学生であって一般読者ではない。
そうして近年のアンソロジー選者は、シェイクスピアに対する18世紀の仕訳表に回帰し、
引用を次のような点で大くくりに分けている。
文の響きが与える感情が同じあるいは似ている、関連する概念あるいは一つのテーマから発展、派生した概念を表現している、
日常に共通する問題への様々な態度を要約整理し、誘惑挑発またはその逆にさらされる多様な感情の経験を記録する、
また一方で、文体の相互関係を明らかにする、
ある箇所の引用が他の箇所の注釈になることもときおり見られる。
以上のようなまとまりに分けるという全体方針としては、
ジェイクイーズの人間社会全体への幻滅や、舞台上で演じ悩む役者達がまず浮かぶ。
結果、本書では、「青春」「成年」「晩年」という大きく三つの章に構成した。
第一の章は、明るい太陽に照らされた妖精の住む郊外での暮らし、田舎の伝統やイングランドの風景である。
嵐の海でのマリーナの誕生に始まり、幼少、思春期、(チョーサー、ジェーン・オースティンのヒロインと同じく知られる)
シェイクスピア風の少年少女を経て、万の心に宿る情熱と愛のテーマに至る。
これらは第一の章の主要な内容を成し、そして、
嫉妬、離別、報われない情熱を取り扱う部分が、やがて来るべき暗い影を落としている。
これらのページは、愛の吐息を混ぜ合わせたインクを使った他のすべての詩人よりもまさっていて、
カトゥルスからキーツに至る詩人たちが、背後へ追いやられてしまう。
描き出される恋人たちの中に見られるのは、戦士、羊飼い、王様と道化、人妻と女主人、少年と老人、
過てる者と信頼される者、征服者と愛されざる者。
舞台となるのは、果樹園や宿場、墓地や寝室、エジプトやイーストチープ通り、魔法の小島。
求愛と結婚、激しい情欲の血、愚行による精神の浪費、二つの心の婚姻、無私と拒絶、お世辞と社交の慣習、
誓い、涙、そして才能、
不死鳥と雉鳩の互いの炎が象徴する人間から噴き出す情熱、
ここではすべてが褒め称えられている。
「成年」は、戦争と為政者の品格の章である。
大志、戦士の資質、愛国、名誉、痛ましい市民の争い、政府、権力、忠誠、社会の病巣、
最終章の「晩年」では、成熟した情熱、過酷な経験、死、どくろ、時の流れ、影、忘恩、自責の念、罪、
つまり、「人間が人間をどのようなものにしたか」(『抒情歌謡集』宮下忠二訳)という問いが解かれていく。
シェイクスピア自身の晩年と同じように。免罪される中で、白髪の和解と静寂の中で。
シェイクスピア作品からアンソロジーを編することで、わたくしたちが得るものは何か?また、失うものは何か?
失うものは、構成、話のすじ、といった全体像。
同様に、劇の効果、物語の動き、場面それぞれの状況。
これらはジョンソンが、「物語の展開と会話の進行」と呼んだものである。
また、見落としがちだが、性格描写がある。
これらの見返りとして、個々の引用部から、わたくしたちが得るものには、二つの要素がある。
それは、語られた内容と、それがどのように語られたかである。
大ざっぱに、使い古されたいい方をすると、構成ではなく、言葉の内容と言い回しである。
「内容」に含まれるものとしては、人々に共通する心情、愛情、情熱、気分、内省、
人間は情念をもつ生き物だという考え方。
身分の上下に関係なく、平凡なことから日常生活の限られた経験を超えたことがらまで。
これらによってわたくしたちの心は学び、理解の範囲を広げ、想像力の拡大を成しとげる。
第二のものは、言葉そのものである。
わたくしたちの言葉ではなく、シェイクスピアの言葉である。
しかしながら、その言葉を、わたくしたちが振り返るたびに、わたくしたちの脳裏に幽霊のようによみがえり、
自己満足のいすに座っていたわたくしたちを立ち上がらせるたびに、
わたくしたちは、二重の意味での認識に驚き、緩和と緊張を同時に感じ取り、
そして、ときには、溺れる者は藁をも掴む、といった、すでに親しんできた言葉に出くわす。
曲がっていた思考が矯正され、黙っていた感情が語り始める。
このようにわたくしたちは、
物語の原動力となる「動き」を犠牲にし、また、二番目に重要な「性格描写」を犠牲にし、
全体としてとらえることを断念し、部分に分けてとらえることになる。
劇作家たるシェイクスピアは、自分自身を芸術家だと位置づけつつも、同時に、一人の人間とも位置づけた。
繰り返しになるが、わたくしたちは、
語られた内容と、それがどのように語られたかに着目する。
思想と情熱に、言葉に、慣用句に、リズムに、個々の単語に着目する。
しかしながら、その情熱は、まるで自分自身が感じたもののようであり、自分自身が発したもののようである。
なぜならシェイクスピアは劇作家であると同時に、本人が意識しなかったにせよ、役者でもあったからである。
だからこそ、彼は、演ずる役者の口から発せられるせりふとして書いたのである。
彼は自然に向かって鏡をかかげた。
動く対象を、ある瞬間に固定してしまう画家とは異なる。
チョーサーは、彼のカンタベリー物語序章で、登場する巡礼者の肖像を見事に描いた。
わたくしたちは、その明暗、印象的な内容、特徴ある散文をたたえている。
しかし、シェイクスピアは動的であって静的ではない。
彼の舞台には、額縁があるわけではない。
垂れ幕の前に人形を並べているのではない。
マルヴォーリオは黄色の靴下をはいて自慢げに歩く、
ロメオはバルコニーから飛び降りる、
ガートルードは毒杯を飲み干す、
イアーゴーは、策略に毒された者達の前へ進み出るムーア人オセロを見る、
シナは下手な詩を書く詩人だと暴徒に八つ裂きにされる、
独善的なリチャードが権力のつえを投げ出す、
イモジェンが夫の胸の中へと飛び込んでいく。
詩人ウィリアム・ブレイクは次のように語った。
喜びを己のために従わせようとするならば、
羽ばたく命を失ってしまう。
喜びがあるがままに己のものとするならば、
永遠の太陽の中に生きる。
(ウィリアム・ブレイク『永遠』)
シェイクスピアは決して、場面、人物、情熱を、自らに従わせようとはしなかった。
あるがままにとらえていたのである。まさにこれこそが、彼の言葉のもつ秘密である。
詩人トマス・グレイは、シェイクスピアについて、次のように語っている。
「彼の言葉は絵画的だ。」「絵画的」は、今日ではより発展した概念を含み、
グレイの言葉を拡張することができる。すべての表現が、動画的、映画的であると。
(散文にせよ、韻文にせよ)シェイクスピア作品のせりふには、役者の動き、抑揚、せりふの間、
気持ちが高まり、速くなっていくことが暗示されている。
習作の段階では見られないが、範囲、多様さ、柔軟さにおいて、
「タイタス・アンドロニカス」から「テンペスト」に至るまで継続して充実していき、
ひらめきはより敏感に、
観察はより正確に、
情熱はより繊細に、
文法、比喩、言葉、会話の妙、飛躍も、同様に発展していった。
「彼の心と手は同時に働き、考えたことを苦もなく流暢に表現したため、
彼の原稿で文字を消した箇所のある原稿は、めったにありませんでした。」
(ジョン・ヘミング、ヘンリー・コンデル『第一フォリオへの序』日浅和枝訳)
さらにいうならば、彼の心と声は同時に働いた。彼の言葉はわたくしたちの耳に響いてくる。
このようなことから、文体の秘密は物語の秘密であり、いうなればそれは常に動いている。
あたかも潮の満ち引きのごとく、前へと後ろへと、リズムと速さを変化させながら。
わたくしたちは、たとえるなら、競走馬のつややかな毛並みに隠された筋肉のその脈動を賞賛する。
その一方で、猥雑な言葉使いにはしばしば困惑させられ、
大げさな表現にはしらけてしまうこともある。
言葉遊びやだじゃれにはうんざりさせられる。
エリザベス王朝風の言葉にはなじみがうすく、
「琥珀織り成す美辞麗句、絹糸まがいの宮廷語」は、
中世建築のねじれたえんとつや、宝石で飾られたコルセットのように、古びてしまっている。
にもかかわらず、シェイクスピアの登場人物については、
「そこに出てくるのは読者が自分もその立場にあったら同じことを言い、
行ったであろうと考えるとおりに話し、行動する人物だけである。
超自然的な人物、幽霊や魔女などが登場する時でも、それらが話す言葉は現実の我々が話す言葉と変わりはない。」
(『シェイクスピア序説』中川誠訳)
このように語ったジョンソン博士の言葉に、わたくしたちは賛同する。
すでにシェイクスピア作品に親しまれている方々は、以下のページに続く「並び変わった」引用箇所から、
今までに見過ごしていた句に気づいたり、新たな発見をして面白いと感じるのではないだろうか。
たとえば、ジャック・ケイドのコモンウェルス、ゴンザーローのユートピアの対比は、
たびたび興味を引いてきた。
そこまでではなくとも、このアンソロジーは、誰よりもまず、たとえば、
「このままでいいのか、いけないのか」
「明日、また明日、また明日と」
「慈悲は義務によって強制されるものではない」(小田島雄志訳)
といった有名な一節ぐらいしか覚えてはいないが、
一冊読もうかとかばんに入れているような、ごく一般的な読者の方々にこそ楽しんでいただきたい。
脚注
サマセット・モームは彼の「読書案内」の英国文学の章の最後の最後で、シェイクスピアに言及している。
「詩の精髄(the cream of all poetry)をよみたいときには、いつでもそれを開けばよいといった、手ごろな一冊の選集がほしいと思う。」
「この選集は、不安にみちた世界にとって、喜ばしい贈物(welcome gift to a troubled world)である。」(西川正身訳)
リチャード・ブリンズリー・シェリダン (1751-1816) 劇作家
ウィリアム・ヘイズリット (1778-1830) 作家
ウィリアム・ドッド (1729-1777) 司祭
第5代チェスターフィールド伯爵 (1755-1815) 政治家、フィリップ・スタンホープ
ウィリアム・ヘンリー・アイアランド (1775-1835) 詩人
サミュエル・ジョンソン (1709-1784) 文学者
ジェイムズ・ボズウェル (1740-1795) 作家
ウォルター・サヴェージ・ランダー (1775-1864) 詩人
アレキサンダー・ポープ (1688-1744) 詩人
トマス・グレイ (1716-1771) 詩人
フランシス・ベーコン (1561-1626) 哲学者
タッカー・ブルック (1883-1946) 文学者
チャールズ・ディケンズ (1812-1870) 小説家
サミュエル・テイラー・コールリッジ (1772-1834) 詩人
A・C・ブラッドリー (1851-1935) 文学者
ハーレー・グランヴィル・バーカー (1877-1946) 俳優、劇作家
ウィリアム・ワーズワース (1770-1850) 詩人
マシュー・アーノルド (1822-1888) 詩人
ヒエロクレス (5世紀頃) 哲学者
ジェフリー・チョーサー (1343頃-1400) 詩人
ジェイン・オースティン (1775-1817) 小説家
ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス (BC84頃-BC54頃) 詩人
ジョン・キーツ (1795-1821) 詩人
ウィリアム・ブレイク (1757-1827) 詩人
ジョン・ヘミング (1556-1630) 俳優、第一フォリオの編者
ヘンリー・コンデル (1576-1627) 俳優、第一フォリオの編者
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